今年もお母ちゃんと旅をした(^^♪【兵庫県】11/23.24
2018年 12月 05日
9月piccoloさんがいろいろ調べてくれ、兵庫県浜坂町の宿を予約。
観光地は何処にするの?と聞かれ、玄武洞ミュージアムと城崎マリンワールド・生野銀山に行きたいと提案。
生野銀山には別子銅山に行った後に行ってみたいと思っていただけにこんなに早く叶うとは!!

渋滞に巻き込まれないように早めに家を出た、漆黒の夜空に明るく輝く満月を眺めながら母を迎えに一路大阪へ。
高速道路を走行していると、後方からご来光が射して来た。なんて美しいんだろう。


舞鶴自動車道から312号線に降りると、両側に低山の山々が連なっているけど奈良県でよく見る山々はなだらかに連なっているが、ここは起伏が激しい。
石灰岩で出来た岩山なのか、雨風で浸食されたのかな?まるで日本昔話のアニメや絵本で見たような山々の姿を可愛く感じた。
アニメだから誇張して書いてるんだと思っていたものが、普通に目の前の景色としてあったことにも驚きを感じた。







やがて雨が降ってきた中、円山川沿いにある玄武洞ミュージアムに到着。
出来て間もないのか綺麗な建物で、ミュージアム名のフォントが可愛い。早速、中へ入ると迎えてくれるのが大きなレプリカのマンモスの化石。
わあ凄く大きいなと感嘆の声を上げる。展示している鉱石も一つ一つが大きい。









複雑な形や六角柱や立方体、入っている元素によっていろんな色がある自然にこういうのがあることが不思議。
古代生物の化石も置いて有り、中でも面白いのが恐竜のウンチの化石が沢山展示されていた。

石を薄くスライスして出来た楽器を鳴らしたり、ものすごくクリアな音で響きが美しい。思っていた以上に楽しめる博物館だ。
地球の営みが何億年もかけて素晴らしい物を生み出し、それが人間の生活で役立つものになっている。
人間は地中深く掘っていっていろんな鉱物を発見している、世界の鉱山も調べていきたい。


編んでいくのも時間が掛かるし大変な仕事だと感じました。昔の人は自然との付き合い方が素晴らしいと感心せずにはおれない。
昔の生活もどれだけ大変で過酷であったかも調べていきたい。
建物の作りも素晴らしく、ミュージアムとお土産店との間が額縁のような空間で、円山川と周辺の紅葉の景観良い所を切り取られているみたいな景観。
さりげない演出に感動しました。
一日中見ていられるくらい素晴らしい展示品たちに、お別れを告げ城崎マリンワールドへ移動。
城崎マリンワールドに到着、休みの日だからか第一駐車場は満車、かなり離れた駐車場に車を止めて外に出たら運よく雨が止んでいた。

お昼のランチは相当並ぶかと思っていたら、10分待ちで席に案内された。
レストラン内は、海側が全面ガラス張りなので日本海をドーンと望められる、沖の岩場には竜宮城も見える粋な演出。
晴れ間も見えだし素晴らしい景観を眺めながら昼食がとれた。



イルカショーも堪能して今日の宿泊地浜坂町へ移動。
海側のお部屋は広く、窓の外は日本海が望める素敵なお宿。
少し休憩してから温泉へ入り、いいタイミングで今日の楽しみの夕食となったので個室部屋へ移動。


もうこれ以上食べられないというくらい,時間を見たら2時間も経っていた!、
部屋へ戻りお腹休めしてから、再度温泉へ。最後の方だったからあまり人が居なくてゆっくり入れ、その後部屋に戻り爆睡。
朝起きて窓の外を見ると、晴天で前日には暗くて見えていなかった日本海の美しい景観が広がりいい眺め。
朝食も健康的な物ばかりで品数が多いと思ったがペロリと食べ終えた。
食後のお散歩に、漁港端の防波堤まで歩いき、朝から清々しく凄く気持ちがいい。
チェックアウト後は生野銀山へ向かう、着いたのが丁度お昼だったのでレストランで昼食にする。
生野銀山名物ハヤシライスを食べた、レトルトっぽい気がしたが、お土産店にはレトルトが置いてあった(^^;。
坑内に入る前に資料館に入り、いろんな資料を見て行き、鉱山内部のジオラマがあり凄く大きく、山を鉱山口まで登って行き、中に入り作業をしているのがよくわかるものになっている。


横堀や竪堀が深くてこんな暗く足元も悪い中、水も涌き出し寒い穴蔵で作業をする大変さを想像する。灯りは貝殻に菜種油やクジラの油を入れて燈しているだけ。
賃金が他の労働よりも良かったようだが、それだけリスクが高く、いつも死が頭の中をちらつく危険な仕事。




作業していた当時の服装は腰丈までの着物に藁草履だからほとんど裸のようなもの。
しかも真っ暗闇に手持ちの貝殻の灯りだけが頼り、手掘りだから足元や壁際も荒そうだから常に怪我もしていたであろう。
苦労して掘っても水が湧きだし水没する恐れもある。水の汲み上げ作業や足場組みや風送りと多岐にわたる役割もある。


左を見ていなかったら見過ごすような狭く小さな穴だ。
手掘りなので大きくは掘れない、狭い場所で掘っていかないといけないキツイ仕事だ。

奥へと歩いて行くと斜め上の所に作業している人のマネキンがあり、こんなとこにも掘っていってるんだと見学しながら驚く。タヌキ掘りと表示されています。
途中から近代的な機械を使っての作業も見られる。機械やダイナマイトを使っての掘削作業、効率化を図れているが常に危険と隣り合わせには変わりない。
鉱石堀の大変さが、こういう歴史の産物で見られ知ることが出来るのは有難いことです。
(私たちは、鉱石探しで山を彷徨っている時に地中から湧き出しているのを発見することが度たびあります、大きさは小さいモノばかりですが((+_+))。)

坑道の中に湧いてきた水の人口滝がありました。
観光で見学出来るのはほんの一部分にしかすぎない、ここだけでも掘って行くのが大変だと感じるが本来はこの倍以上の穴を縦横無尽に掘っているんだ。
昔の人の根性と体力の凄さを痛感する。
立松和平さんの祖父が生野銀山で渡り鉱夫の資格を得て足尾銅山で働いていることが小説になっているのを読んで、なんてきつい仕事なのかと思ってました。
父親も足尾銅山で働いていて自身もそのまま足尾銅山で働くものだと思っていたところに鉱毒問題で閉山になったとのことでした。
働いている人たちは30代までにヨロケという病気にほぼ100%かかり、亡くなる人が多いとのこと。
給金が多くても、楽しみと言えば遊女や賭け事やお酒に使うだけ。その時代の娯楽はそんなことしかなかったようです。
自然災害も襲ってくるし、必死に生きていたんだ。
因みに"お控えなすって"で始まる仁義は鉱山で働く同志の挨拶だったそうです。
渡り鉱夫の資格を持てたものは別の鉱山で働けるのですが最初に仁義をきるあいさつがきちんと出来なかったら、怪しいものとして殺されたりしていたそうです。
最初に働く鉱山で親方の元で3年3か月と10日我慢して働いた者に"渡り"の資格が授与され、仁義の仕方も教育される、親分子分の関係。
今までの時代で忌み嫌われているものは、ちゃんと調べたら意味のあった事かもしれないんだと思いました。
裏に隠れたものは表沙汰になりにくく、間違った意味で捉えていることが多いかもしれないです。
何か心に引っかかことはきちんと調べて理解しないといけないと思いました。
とにかく生野銀山を見に行けて凄く良かったです
財閥になった所は鉱山所有者が多いですね。過去の出来事を調べて昭和50年頃までは過酷労働が多かったことを知りました。
一つの事に興味を持って調べて行くといろんなところに繋がって、どんどん扉が開かれていく。
日本の鉱山はほとんど閉山しているけど神岡鉱山は現代ではスーパーカミオカンデの調査する所になっていて宇宙の成り立ちの研究をしています。
鉱山から宇宙に繋がって行くんだと知った時は驚きました。まだまだ知らないことがたくさんある。
山での遊びがどんどん面白い方向へと連れて行ってくれます。
うちの母も普段、ツアー旅行によく行ってますがこんなとこには来たことがないと改めて感動していました。
残してくれている文化遺産て昔の生活を知る意味でも凄く大切なものだと感じました。
今回の旅行はそれほど渋滞も無くお天気も回復してくれ、なかなかスムーズに動けました。
それぞれ立ち寄った場所で感動を受け、いい旅になりました。

