榛原の丹生神社訪問 【奈良県・宇陀市】7/19
2020年 07月 25日



緑色に明るく光るその物体は破裂して2つに分かれ一つはそのまま山の斜面へと消え去った。
しかも距離にして僅か100m程先、二人して今のはなんや~と驚いたのでした。

同年10月、山の中で明治時代に稼働していた銅鉱山を見つけ鉱石探しをしたり、翌年には水銀鉱山跡へ黄鉄鉱を拾いに行った。
黄鉄鉱は昔、水銀鉱山での副産物だった事もその時に初めて知った。それまでは水銀の知識は体温計に使われていたことくらいしか知らなかった。

さきの銅鉱山を見つけた後、大阪市のビジネス街である淀屋橋に、私が通っていた武家屋敷の愛珠幼稚園(緒方洪庵の適塾の隣)がありその門前に銅座の碑があることに気付きなんという偶然。
江戸時代の淀屋橋は住友の最初の事業である銅精錬の工場が犇めいていた所だったんだ。
何の因果か、銅の事を知りたくなり住友のことを調べると、鎖国時代にはオランダは銅を買い付けに来ていたことを知った。
日本は銅の産出量が多く、何より住友が製錬していた銅が一番品質が良かったのだ。

何故住友の銅がすぐれていたのかそれを以前、大阪市の安立町ツアーでガイドさんが教えてくれた。
その時、平日だったので私一人しか参加していなく、住吉大社についてはほとんど知らないことを伝えると丁寧にいろいろと教えて下さった。
昔は船が交易の要で、住吉大社は海の神様なのであちこちの大店は住吉大社に寄進していて特に当時一番大きな会社であった住友の寄進が凄く多かった。
何故、住友の銅が一番だったのか、それは長堀川の水を使っていたからだと教えて下さった。その時になるほどな~と驚きました。長堀川の水質に秘密あり。

その後どうしても別子銅山に行きたくなり3年前に訪れ、別子銅山に関する本を買って読んだがいまいち知りたかったことが記載されていなかった。
それが何と先月、NHKで別子銅山の番組をやっていて知りたかったことがようやくわかった。
昔は竿銅と言って竿の形に銅は製錬され輸出されていて、その竿銅の製造工程を番組で再現していました。
見ていると、ななな何とローズ色に光っているではないか~、当時はローズ色に光り輝くように処理していたというのを知り凄い技術だったんだなぁと驚きました。
ヨーロッパでは赤色を崇めていたので、不純物が少なくローズー色に光っていると言うのでオランダから仕入れに来ていたんですね。

そうやっていろいろ興味が出て来て調べていくと、古い時代から日本人は商人、傭兵、奴隷として大陸のあっちこっちに渡り住んでいたことが分かりました。
別子銅山の銅や鉄はジュラ紀に海底熱水から噴出し固まった岩石が隆起して、地上に現れた岩石であることを知った。(海底熱水のことを調べたら新たに生物誕生説も知りました)
その番組では露頭している銅の岩石を見ることも出来ました。
金という字は今でこそゴールドを意味していますが、本来は銅の事であったらしい、銅という字は"金へん"に"同じ"と書きます。
鉄が出来るまでは銅が武器として使われていた。大陸での銅精錬は約9000年前から始まっていたらしい。
紀元前からずーっと続いている世界中で起こっている幾多の戦争がいろんなものの発展を促し、悲しいけど戦争で生み出された物が現代の便利な世の中へと繋がっているということを思い知らされた。

次は辰砂について。
6年前piccoloさんが面白い鉱石があるから探しに行こうということになりました。
それはそれは確かに変わっていて、金属光沢で4面体~6・8面体、初めて見た時は驚きました。白い粘土の中からこんな形が湧き出て来るなんて。

その時にpiccoloさんが水銀鉱山の副産物で黄鉄鉱が出てくると教えてくれました。水銀鉱山?
水銀鉱山があったんだ(まったくの無知でした)。以前にも書きましたが、黄鉄鉱を探しに行った後日、図書館で "大和誕生と水銀" なる本に出合い驚く内容が載っていました。

神武天皇(ニニギノミコト)は水銀が採れる辰砂の為に、この日本列島に来たことが分かりました。(辰砂を見つければ大金持ちになれたからです)
奈良県内には、水銀鉱山が多く私の住む町の近くに多数の鉱山跡がありますが、その多くは坑口が閉ざされたり立ち入り禁止等近寄る事ができませんが
小規模だった鉱山跡の一つ多武峰鉱山跡はこの辺りかと目論み山中を彷徨い探し出す事ができて、念願の辰砂を手に入れました。
屑石ですが赤い辰砂が付いていました。(当時はもの凄い綺麗な辰砂が採れていたのでしょう)
そこからこれは何かの思し召しと思い、銅の次は辰砂について調べ始めました。


何と徐福伝説と重なって来て、大陸方面の辰砂事情も調べねば!すると練丹術や錬金術につながりました。
ここから科学や薬学のことも調べねば!といろいろと調べていたら、スペインにアルマデンという水銀鉱山があることを知りました。
何とローマ帝国やイスラム帝国が支配していた鉱山で、そこから地中海辺りも調べていかなきゃとなりました。
なにゆえに水銀が求められていたんだろう?世界の神話を調べると必ず水銀に関する記述があります。

主な所で、エジプト神話のトト、ギリシャ神話のヘルメース、ローマ神話のメリクリウス、他の国の神話にもあります。
こんなにも世界共通な水銀にどんな力が宿っていたのか、好奇心がワクワクしてきました。
一昔前の私達の生活でも身近な処では、赤チン・体温計・血圧計・水銀電池・水銀電球・歯の詰め物の銀歯とありましたが、今年2020年水俣条約の為、世界では一部を覗いて使用不可になります。この銀歯の材料にアマルガムとして水銀合金が使われ、それが唾で溶けだして水銀が脳に行き神経が侵される病もあるようです。

日本では、丹生という地名の所は水銀鉱山があった土地になります。あと"塩"や"入"が付く地名もです。あっちこっちにあったのです。
その最初に作られた丹生神社が宇陀市にあり、最初に書いた隕石らしき物体が破裂して飛んで行った方向に当たるなと思いました。
隕石らしき物体を見た当時、まだ水銀のことも丹生の事も知らなかったのですがその事を知ってから、飛んで行った方向に神社があることも知りました。
いつか行ってみたいと思っていてようやく訪れる機会が出来ました。最近式年遷宮があったみたいで、綺麗になっていました。

祠は赤かったけど、残念なことにペンキでした。時代が時代なだけに辰砂は使えないのでしょう。
祠の上によ~く見ると男性と赤ちゃんをを抱く女性の彫り物がされていました。
県内の有名な丹生川上神社の上、中、下も訪れました。そして小規模な丹生神社も点在しています。
他には水分(ミクマリ)神社、これも本当は水銀の神社でしたが、今は雨や水の神様だと言われています。
宇陀の丹生神社を参った後に、偶然にもとある大学教授のブログでこの宇陀市雨師集落の丹生神社が真の丹生神社であることを知りました。(古事記に出てくる占いの場所)

そして大学教授は竹取物語のかぐや姫の話の事を書いていて、かぐや姫が子供を産んでいたと・・・。それも当時のミカドの子。
我が国最古の物語、竹取物語に出てくるかぐや姫への求婚者が全て実在していた人達、当時のミカドは天武天皇らしい。
読んだときはそんな馬鹿なと思ったが、丹生神社の子供を抱く女性の彫り物の写真を見直した時、この祠の彫り物の意味はもしかして・・・と何か繋がったような気がしました。

昔は海洋戦争で船で敵方へと進軍するのですが鏡に太陽光線を集めて敵方の船にその光線が当たるように配置して焼くみたいな。(古代の船は木造船)
地中海での戦には船が必要不可欠。(船底の赤色塗料として辰砂が使われていた)
水銀のことを調べて行くと様々な薬に使用されていたり爆薬の材料にもなっていたそうです。
ミイラ作りや不老不死の薬としても崇められていたり、宗教儀式に使われていたり、梅毒の駆使薬に化粧のおしろい、絵具などに使われていたり、多様な用途があったようです。




