さんふらわあ船旅プランで九州火山帯満喫 宮崎編 3日目/6 01/03
2021年 01月 14日

7時起床、朝食を済ませ車で5分の高千穂峡へ向かう。
本日は朝から晴天~、谷沿いなので清々しい空気が吸え体全体に浸みわたる。


渓谷に降り立つ上を見上げると、近代的な"神都高千穂大橋"と"高千穂大橋"そしてアーチ方の古い石積の"神橋"の三つが望める。

谷に目を移すと高千穂大橋の下が柱状節理の六角形がはっきりと分かる所があり、そこから川が流れる方向に目を移すと谷の両側面は全て柱状節理だ。
柱状節理に心ときめき、テンションが上がりまくり~。

高千穂峡は今から27万年前・14万年前・12万年前・9万年前の4度にわたる阿蘇火山活動によって噴出した火砕流が冷え固まり川などの浸食によって柱状節理の素晴らしい渓谷になったそう。
高さは80m、高い所で100mの断層やV字渓谷が東西にわたり約7kmも続いている。約1kmの遊歩道が整備され日本の滝百選にも選ばれた有名な"真名井の滝"や雄大な渓谷が楽しめる。


高千穂は真名井の滝ばかりクローズアップされていたから、こんなに素晴らしい柱状節理が連なっているとは知らなかった。
遊歩道のテラスから真名井の滝が望める、カップルが漕ぐボートが一艘見えた。きっとまじかで見ると滝や柱状節理は壮大なんだろうな。
柱状節理は下の方は真っすぐで太いのに上に乗っかっているのは細く湾曲している。時代時代で火砕流の成分が違っているからなのか?



玉垂の滝も岩の隙間から幾筋も流れ出していて素晴らしい景観。岩の一ヶ所が真っ赤な石があり、何だか”打ち出の小づち”の形に見える。
御橋まで歩いて、おのころ池周辺を散策して来た道を戻る。(打ち出の小づちとかは鉱山に関する言葉なのかな、古代ではノミとツチで岩を打って鉱物をとりだしていた)
真名井の滝

見た目も壮大な柱状節理、どうして流れてきた溶岩が縦に亀裂が入るのか、そしてなぜ五角形や六角形の形状なのか不思議。雪の結晶も六角形だし、何か神秘の理があるのかな?
でも今回初めて知ったが熊本県や鹿児島県にも高千穂と言う地名がある、もしかして高千穂という言葉は柱状節理を現した言葉なのかなと勝手な想像。
今、”語源博物誌”と言う本を読んでいて言葉の不思議を学んでいる。

現代の言葉は方言でバラバラだった日本の言語を、明治から学校で共通語(標準語)を学ばせるために変わってしまった。(総動員の戦争で共通語が話せると都合が良かったとの説もある)
戦後の教育で漢字は簡略化されカタカナから平仮名に変わり、右から読んでいたのは英語に合わせて左から読むようになり、言葉もかなり変わってしまった。
現代の簡略化された漢字からは本当の意味は分からなくなってしまっている。

地名も古代の人はその場所に合った地名を付け、地名でその土地で起こりそうな災害がわかったが、近代になり地名も変更されていることが多く本来のその土地の個性が分からなくなっている場所も増えている。
明治時代に鉄道が引かれ、観光業が発展し、あちこちの市町村は集客の為に古事記に出てくる場所や有名な著名人が着た場所がさもこの土地ですよと言わんばかりの宣伝をし、諸説ありますなんて一言添えて事実も分からなくなっていることも多々あるだろう。
本当の場所とそうじゃない場所の検証は難しくなっていると思う。


古代に起きた何かの表現を、擬人化や動物に例えたりして言い伝えているのが物語だったんじゃないかな?と感じる。(個人の感想)
そうやって昔の人は自然と上手く折り合いをつけて生きてきたんだ。人間も動物で自然の中で共生させてもらっていることを(壮大な循環の中の一部)忘れていっている気がします。


次は海沿いにある日向岬にある細島灯台へ移動。この灯台は明治43年に点灯された。平成3年の改良工事で今の姿になっている。
日向岬も火砕流で出来た場所なので周辺は柱状節理になっている。



岬の先にある馬ケ背へ移動。
突き出た所は波による浸食で柱状節理の形が崩れているのもある。しかし海の色が濃いブルーで凄く綺麗だ。





ここの植物は常緑樹が多く、景観を見ていると冬枯れた樹が無いので今が冬であることを忘れてしまいそうだ。所々にナナカマドの紅葉が目立っている。

車ですぐの所の"クルスの海"に移動、侵食された岩礁が十字の海を形づくっていることから名付けられたそうで”叶う”と言う字に見えるそう、何だか無理無理なこじつけのような気もするが…。

十字のことを”クロス”でなくて”クルス”と書かれていた。
カタカナ語を調べていると昔はルーズベルトと習っていたのが今はローズベルトだったり、発音の表現で全然意味合いが違ってくることが多いと気づく。
そういうことで言葉の事も最近調べています。普段の山の中の散策やEテレやBSNHKで気になったことを調べるのが趣味になっています。

ここから南下して宮崎市郊外の西都原考古博物館へ移動するが、お正月休みだったので館内見物は出来なかった。
お昼時となったので駐車場でランチにする。青空広がりポカポカ陽気のいい天気だ。ランチ後は古墳群を散策。


西都原古墳群は3世紀から7世紀の前方後円墳や円墳などいろんな古墳が319基存在している。
やはり大和民族はこの宮崎の地から奈良へと向かったんだろうか?堺の仁徳天皇量も前方後円墳だし、古代の解明は難しそう。


明治時代にイギリスの考古学に影響を受けて古墳の調査が始まった、それまでは価値がある物とは知らず誰も見向きもせず田んぼや畑になっていた。
明治時代から戦後までの事を調べているとかなり驚く内容を知ることがある。イギリスの産業革命前後の歴史や社会情勢を調べるのも大事だと気が付きました。


古墳群のあとはまた海沿いの青島神社へ。
ここは地形が面白く、海に突き出た島の周辺が鬼の洗濯岩と呼ばれる砂岩泥岩で出来た奇形の岩に囲まれた中に神社がある。

駅前駐車場から歩いて15分程で神社に通じる橋に到着。
時間は16時、干潮時間なので鬼の洗濯岩が見渡せその上も歩ける。


人の手で作られたのかと思うほどの様々な形状や模様で、自然が作り出したものだとは理解しがたい不思議な感覚になる。
亀裂が入った岩は古代の粘土板にも見えてくる。何かしらの文字が彫り込まれたようで面白い!。


時間を忘れそうなくらい磯遊び?が出来る。楽しい!!
洗濯岩歩きを終え参拝に行かねばと砂浜の上にある神社へ向かう。足元の砂は貝やサンゴの細かくなったものだ。


朱色の鳥居を抜けると本堂も朱色、色鮮やかで素敵。時間も遅いからか参拝者も少なく、密になることなくスムースに参拝出来た。早く普段通りの世の中になりますようにと願う。

帰りも鳥居の向こうに海が見えるなんて素敵な神社で初詣が出来た!感無量。(初詣も明治時代に鉄道が出来てから始まった、明治時代から始まったことって結構多い)
ここから少し移動して奇形海岸が見える堀切峠へ移動。



夕焼けが綺麗だ~。
宿泊する宮崎市内のホテルへと向かう。
素晴らしい柱状節理と奇岩が見られ、お天気もよくポカポカ陽気に恵まれ楽しく面白い一日を過ごせました。

