吉野の林業王 土倉庄三郎さんの磨崖碑とクマタカ?トンビ? 【奈良県】4/16
2022年 04月 20日


午後から雑用があるので午前中だけ山へ行こうとなった。
川上村の五社トンネルを抜けると川の対岸に 土倉翁造林項徳記念 と大きく彫られた磨崖碑が見えてくる。
以前から駐在所横には銅像と簡単な説明書きはあったけど、その磨崖碑の対岸となるR169号線沿いににきちんとした年表を取り付けた説明板が去年新たに設置されていたのを見てみたかったので寄ってみた。

土倉庄三郎さんの磨崖碑を始めて見たのは随分前で、台高や大峯登山に行く途中に何だろう?といつも思ってはいたが調べるほど気になってはいなかった。
いろんな土地の山奥へと行くと集落をよく見ることがあり、都会育ちの私には何でこんな不便なところに人々は住んでいたのか?と気になり始めた。
そして、とある人から土倉庄三郎さんのことをたまたま聞いて、説明板が川上村の駐在所の横にあるよと教えてくれ、山へ行った帰りに寄って説明板を読んだ。

明治時代の人だった。川上村で林業を営んでいた”山林王”と呼ばれていた凄い人なんだと知った。
2015年にNHKの朝の連続ドラマ ”あさが来た” が放送されていて、ずーっと朝の連続ドラマは見ていなかったのに、たまたま大阪の船場の話だったので見だした。
こちらも明治時代の話。 土倉さんは名前を変えてこのドラマに出てきていたのだ。
笑福亭鶴瓶さんがやっていた役の人が土倉さんなんだと思う。


その時に、よく遊びにいっていた山の中に戦時中のアセトン工場があることを知って見に行ったことがある。とある人に貿易商の鈴木商店を題材にした”お家さん”を読んでみたらと説明もなくいきなり言われた、この山の中のアセトン工場の経営者が鈴木商店だった。その頃の鈴木商店は世界一の貿易商にのし上がっていた。
BSTBSで ”関口宏の近現代史” という番組内で鈴木商店がなぜ世界一の貿易商になれたのかを解説していた。なるほどと合点がいった。
山の中に暮らす人のことが知りたいと強く思うようになっていた私にそのとある人が ”宮本常一”さんの本を貸してくれた。民俗学で有名な人。
(宮本常一さんのパトロンが渋沢栄一の孫の渋沢敬三だった。後にそのことを知って民俗学や探検隊の派遣は何か軍事的な調査に必要だったのかなと思うようになった)


私はそれまで歴史に興味がなかったのにそのとある人のお陰で図書館へと通うようになった。最初は”宮本常一さん”の他の本も読んでみたいと思い通い出し、”お家さん”も借りて読んだ。なんと図書館に”土倉庄三郎さん”の伝記もあったのだ~。
ついでに”あさが来た”に出てきた五代友厚(薩摩出身)にも興味が出てきて(ディーン藤岡が役をやっていたから興味が出てきたわけではない)商業都市 大坂 を作ったのが五代友厚だったからだ。私が通っていた幼稚園と仕事していた所が本町や淀屋橋界隈だったので俄然、興味が出てきたのでした。
なんと五代友厚が住んでいた屋敷があったのは大阪市役所の御堂筋を挟んだ向かいにある日本銀行がある場所です。

この時に明治時代と戦争について知らなければいけないと山の神様が言ってるような気になり図書館にある本をいろいろと借り読んでいった。
土倉庄三郎さんに関してはただの山林王ではない、日本で凄い影響力をもっていた人ではないのかなと思うようになった。
磨崖碑を作りたいと言い出した、本多静六さんは明治神宮の森を作る設計をした方で土倉さんに山林のことを学びに来ていた人。

伊藤博文さんを始め、明治政府の政治家やいろんな人が会いに来ているし、同志社大学や日本女子大学の設立に協力しているし、大谷探検隊やその他の探検隊の資金を出していたり、とにかく凄い人。
その子どもたちも凄い、長男の鶴松さんは当時の日本は満州だけでなく、内モンゴルも植民地に企んでいて日本の調査に出資していて、自ら探検者を任命して行かせている。
次男は台湾で樟脳の工場を作ったり、電気を通したりで台湾では”樟脳事業の父” ”水力発電の父” ”近代林業の父” と言われている。あの飲み物のカルピス誕生にも関わっている。

娘さんも凄いところに嫁がせている。
長女が嫁いだ原六郎という人は横浜銀行の頭取や東武鉄道、山陽鉄道etcなどたくさんの鉄道会社を設立し、渋沢栄一・安田善次郎・大倉喜八郎・古河市兵衛と共に称される五人男と呼ばれた人。

次女の政さんは内田康哉という外交官・政治家に嫁ぎ、なんと”西太后”の一番のお気に入りとなり、日本人なのに寝室にまで入れた稀有なお方。
他のお子さんも凄いですけどね。
とにかく土倉庄三郎様は凄いお人です。

山に行ってなかったら、昔の人々の生活や歴史や戦争のことも気になってはいなかったと思う。私の目の前にバンバカといろんな分野の扉が開き始めました。
いろんな分野を調べていくうちに、いつから世の中はおかしくなっていったのかな?と言う疑問を持ち始め、そういう観点から歴史も見るようになり、古代史にも興味が出てきました。
日本だけじゃなく世界にも目を向けなくちゃ見えてこないことがたくさんあるなと思いました。グローバル社会は近現代に始まったのではなく古代からあったことだ。
古代日本史を見ていると大陸からいろんな人達が大勢やって来ているし、日本人?もたくさん大陸へと渡っている。血は混じり合っている。
”何か辻褄が合って無くねぇ?”と矛盾が見えてくるようになり、”商業主義”の恐ろしさに気が付き始めました。

いろいろと調べ始めていくと人間は最初の ”良い志” を忘れ、時が経てば商業主義の前に盲目になり、度重なる嘘を付き始めていくんだなと感じるようになりました。
度重なる嘘はいろんな ”本当は必要ではない職業" を次々と産み出せる錬金術なんだと分かりました。
土倉庄三郎さんと出会ったお陰で、いろんなものの見え方が出来るようになり有り難いきっかけだと思いました。
1800年代は色んな意味で”鍵”になる時代で、ありとあらゆる研究がなされていてた。戦後の教育は9割型嘘を刷り込まれてきたんじゃないかと思う。
生まれてから覚えていった日常の生活の流れや食習慣はしっかりと身に染み付いて、何かがおかしいなんて考えもしないで、それって普通でしょうと思っている。
伝統・常識・何々賞とかの裏に隠れている事柄に気が付かなくちゃいけない。支配する人は大衆にパンとサーカス(美味しいものと娯楽)さえ与えていれば馬鹿な大衆は何にも気が付かないと思っている。

上に出てきた名前の人たちは五代友厚を始め、渋沢栄一、安田善次郎、 他の人達は鉱山をたくさん所有していたり鉄道設立に関わっていたり、とある外国資本家と同じやり方でのし上がっています。そんなことにも気がつけました。海外で教育を受けてきた人たちだから成功していた。
鉱山て当たれば大金持ちになれるので明治時代はあっちこっちと一攫千金を求めて掘りまくられたのでしょう。
古代から日本人はけっして、農耕民族みたいなおとなしいもんじゃなく、鉱物採掘、精錬民と海洋民という猛々しい民族だったことがわかります。
日本人は強かった が、 戦後の教育で骨抜きにされ始めたんだと思いました。(でもこれで良かったのかなと思ったり、現代は暴力や差別を悪とする社会になってきたし、今は言葉の暴力も排除され始めてきたのでそういう面では良い社会にはなってきたなとは感じています。
がしかし商業主義が始まり工業が盛んになり、内科的な病気が増えてきて、今では食品添加物やカビ防止剤、身の回りにある化学物質で病気なる人が増えている。過食なこの時世が美味しい食べ物で人間は滅ぼされていくような嫌な予感がします。今や敵は身の回りの生活必需品の中に隠れている。実は困った世の中になっているのです。
最近BSチャンネルで台湾総督府民成長官、南満州鉄道初代総裁の後藤新平の番組が先月放送された。何で今、後藤新平のこと・・・がとなんか嫌な予感がしました。

話は山へと戻します。
山歩していると、いろんなものが生えているのが目にはいってきます。
クマタカちゃんを救出した場所へと行き、椅子を出してしばらく眺める。
しかし今日はめちゃくちゃ寒い。

ミツバツツジも濃いピンク色の花が咲いているけど散っているのも多い。
風が強すぎて咲いても吹き飛ばされるみたいな状況になっている。


結局クマタカちゃんは現れず、寒すぎるので車へと戻り、ドライブすることに。
ドライブしているとpiccoloさんがなんか飛んだと車を止めて、外に出ていくと目の前を猛禽類が飛んでいる。
何か餌を探しているような飛び方なので、カメラを取ってきて写すがどうなんだろう?
クマタカじゃなくトンビのよう。




ドライブをしていて昔のトンネルを発見。伯母峯隧道となっている。
いつ頃まで使われていたのかな。昔はトンネルと言わず、隧道と言っていたのね。
昔はトンネルを掘る仕事は大変なことだったと思い、山に行く時にトンネルを通るとその工事に準じしていた方々に心の中で”ありがとうございます”と言うようにしている。山へと道路を通してくれた方々にも感謝しています。
今日は、久々に土倉さんに会えました。
土倉さん、今も毎日いろんな本を読んで学ばせて頂いています。
山の神様にも日々、学びを与えてくださっていることに感謝します。

