お散歩で地元に生息するクマタカ初撮影&自然のサイクルを学ぶ 【奈良県】4/17
2022年 04月 24日


二十四節気や七十二候は古代中国で考案された季節を表す。
二十四節気は1太陽年を日数(平気法)で24等分したものでカレンダーに出てくる立春や啓蟄と言った言葉がそれ。
七十二候は二十四節気を5日づつ3つに分けた期間のことで、七十二候の名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっている。これらを知るまではカレンダーに載っているそれらの言葉が何を表しているか分かっていなかった。


4年前くらいに夏の暑さが異常で家で植えていた園芸植物が心配になっていた。
その頃から買い物に行く時に歩いていて何気に空き地や道端の野草をみるようになった。
翌年の夏も異常に暑く、園芸植物は弱わりだしていたので、まめにお水を与えていた。
道端で見る野草は気温に左右されず元気に茂っていた。
それまで植物という生物のことを気にしていないで彩りの良い花を園芸店で買って植えて、その形や色合で素敵なミニ庭園を作れて毎回満足していた。


野草って異常気象だからと言って、健康面で左右されていないなぁ、水も与えられていないのに元気に茂っているなぁとしかも季節が来たら、順繰りに種類が変わって可愛い綺麗な花が咲くなぁと感じ始めた。

二十四節気や七十二候は上手いことこの自然の流れを表している言葉なんだと気がついたら、凄い古代の人の観察力に圧倒された。
二十四節気や七十二候をカレンダーで気にしながら生活を始めて本当にそういう流れになっているなと感動した。


山に行ってても、景観が素晴らしいと言うことばかり感動していて、自然を観察する目にはなっていなかった。素敵な花が咲いている、いろんな苔に癒やされるくらいの感覚だった。
野草を見始めたきっかけで、山の中の植物や木々を一つの生命体だと見る目に変わった。
樹液が流れていても、触ったことも匂いを嗅いだこともなかったのに樹液は何のために出るのだろうと考えるようになった。

樹液は虫が傷つけて餌として舐めているけど(これは虫さんへの慈愛だと思う)、樹自身は穴を開けられた傷を修復するために流して傷口を治癒さしていることに気がついた。
ここから、自然治癒ということに目覚め始めた。

昔は野草とか野菜とか区別してなかった時代があるんじゃないかなと思った。
河川敷を歩いていると食べられる種類の野草がたくさん生えている。

ヨモギにイタドリ・からし菜・カンゾウ・ニリンソウ、カラスノエンドウ。
ヨモギは葉が白っぽく見える、これは葉に短い毛が生えている。


昔はヨモギのこの毛を取って集めてモグサにしてお灸に使われていた。
モグサ集めって大変そう。
お灸って、モグサをツボに載せて火をつけるやり方だけど、これは一部の箇所を温めて体液の循環を足しているんだろうと思う。
今回も散歩しに行くと満開だった桜はすっかり、緑の葉が生えてきてほとんど散っていた。


道を凄く長い蛇さん(アオダイショウ)が通せんぼしていた。写真を撮りながら歩いていたのでpiccoloさんと200mも離れていた。
しばらく様子を見ていたがじーっとしていて動く気配がない。
アスファルトが温かいので気持ちよくなっていたのかな?
蛇さんに”そろそろ通しておくれ”と言うとスルスルーっと草むらに入って行った。
人間が悪さしない限り蛇は襲ってくることはありません。


黄色い菜の花が綺麗だわと思って近づいてみるとあれ?葉っぱの形がギザギザ。
菜の花じゃないのかな?と帰ってから調べたら、からし菜だった。
この種でマスタードが作られている。一個勉強になった~。


割りと大きめのイトトンボが1匹、草に止まっていた。




山側には可愛いアケビの花が2種類咲いていた。
白い雄花とうっすらピンク雌花がありどちらも可愛い、ちょっと離れたところのミツバアケビの花は赤い色をしている。風が吹きまくっているから写真を上手く撮れない。

サルトリイバラも白い小さな花が咲いていた。

種がいっぱい入ったヤマネコノメソウ。

ニリンソウも花を咲かせている。
先を行くpiccoloさんが待っててくれた。ちょっと休憩してまた一緒に歩き出す。



雀のような鳥、しばらく眺める。またpiccoloさんと200m離れてしまった。
piccoloさんはその頃、頭上を旋回しているクマタカを撮影していた。
つがいのクマタカが地元に生息していたんだ!と喜んでいる。


川を見ると茅が根を伸ばして広がっている。
昔はいろんな生活道具に使われていたんでしょうね。
茅葺屋根や簾、もっと昔は家そのものや船や水辺の土地としても使われていた。
有り余るくらい自然からの恩恵を使って生活が出来ていたんだ。

昔の生活で自然の植物を上手く使いまわしていることが分かる素晴らしい本に出会えました。
”和ろうそくは、つなぐ” という大西暢夫さんの本。
ろうそくに使われている蝋や芯、その材料のもととなるものはどこの誰が作っているのかと原料を作っているそれぞれの職人さんのところまで足を運んで、その取り方、作り方が載っている。

藍染工場で使った櫨の実のカスは灰になり、その灰は陶器を作る陶器工場で釉薬として使われる。それぞれの使い終わった材料がゴミにならずに巡り巡っていろんな職人さんの所で新たな役割に準ずる工程が見られる。


櫨の木から蝋を取る人、和ろうそく職人、藍染職人、陶器職人、むしろを編む人、ミツマタやコウゾから和紙の原料となる皮を剥がし和紙の原料を作る職人、和紙職人、ろうそくの燈芯の元になる髄を燈芯草と言う草から採る職人、この燈芯は和ろうそくにも使われるが習字で使う墨になる煤取りに使いこの煤を練り上げて墨にする墨職人、和ろうそくの燈芯の先に使われる真綿作り職人、これだけの職人さんにつないでいる。
まだこんなに手仕事をしている職人さんがいることに驚かされました。

昔はゴミにならずに皆、使い回せたんだと使い終わったら土に帰る。
素晴らしいサイクルは当たり前の世界だったんだ。
人間も本当は死んだら土に帰り、いろんな生物の肥やしになっていたんだろう。
そうやってゴミのない循環がなされていたんだと思う。
いろんなことは”お互い様”で支え合っていた時代があったんじゃないかと思う。


現在は土に帰らないゴミが増えていき、その処理に困り埋立地とかに使われているんだろうな。
未来の人たちは汚染社会の中で生きていかなければいけない。
企業の大量生産、大衆の大量消費はゴミを止めようがないくらいドンドン生み出してしまう。
未来はどんな社会になっていくんだろうか?
埋め立てで使われた電化製品や病院で出たゴミ(他にもいろんなものがある)は海を汚染して、いろんな生物に害を与えている。
大企業がしていることは巡り巡って私達人間をも破滅に向かわせていることに気が付かないといけないと感じます。

