ナイトハイクで釈迦ヶ岳(1799.9m)のご来光&お花見 6/4 【奈良県・大峯】
2022年 06月 14日

釈迦ヶ岳に行きたいとpiccoloさんにリクエスト、登山道がはっきりしているからナイトハイクでご来光を拝みましょうと言うことになりました。

夜中2時半、太尾登山口駐車場に到着するも、すでに8台止まっていた。
風が凄い吹きまくっているが日の出が4時45分なのでレインウェアを着て寒さ対策をし出発。
ヘッデンを付け足元を照らしながら歩いて行く。
夜の天気予報は曇りだったけど、きつい風のお陰で雲が無くなり星空を見ながら歩いていけた。

どんどん進んでいくと体も温まってきて、レインウェアを脱ぐ。風はさほど冷たくないのでちょうどいい気温。
暗闇の中、あちこちで鹿さんたちの目が光っていて、こちらを伺っているのがわかった。


うっすら明るくなってきて目の前に釈迦ヶ岳(1799.9m)の姿がくっきりと浮かび上がっていた。

雲海が見えてきた。
日の出まで後15分、間に合うように登っていくとお釈迦様が見えてきた~。


バッチリ日の出に間に合いました!!
8台も車が止まっていたので、山頂にはたくさん人が居るだろうと思っていたら、誰も居ず皆さん車中泊されていたみたい。貸し切りだと喜んでいたら、下の方にカップルがいらしゃって、いい雰囲気だったので邪魔しないように離れた場所でご来光を見ました。
表情の違う雲海が広がって厳かな景観。


だんだん明るくなり周辺にシロヤシオが咲いているのがわかった。
丁度良い時期でお花が満開。ピンクのシロヤシオも見ることが出来ました。


初めて釈迦ヶ岳に来たのが16年前、その時は登山を復活したばかりで体力が無く、ここまで来るのにヘトヘトでお釈迦様に気がつくより先に右側の山の峰々の景観に感動し、お釈迦様の手の中にいるようだと感じ、何故かその時、私は孫悟空だ~と思いました。(私は無宗教です)
ヘトヘトの体で後ろを振り返ったら、お釈迦様の像があったので驚きました。
そして、私の中の誰かが ”私、ここに来たかったの” とつぶやきました。
そんな現象が起こったのは初めてで、誰???と思いましたがもしかしたら遠い遠い過去の私だった人の魂が現代の私の中に居るんだと思いました。久々に来ることが出来て感慨深い。

仏像はガンダーラで初めて作られたそうです。
紀元前にアレクサンドロスがインド遠征で周辺諸国を手に入れていき、ガンダーラでギリシャ美術と仏教が出会い仏像が作られた。
当時の西アジアや中央アジアはギリシャ人とアジア人の混血が多かったのかな?カスピ海周辺は白人のような顔の人が多い?。
インドの古代ドラマ、ポロスでペルシャ帝国の王、ダレイオスは赤髪で黒目だったけど、姉は金髪碧眼だった。
このお釈迦様の指のサインは上昇気流と下降気流みたいなことを表しているのかな?科学が発展していたから仏像やギリシャ神話の神々って元素を表していたんじゃなかろうかと勝手な推測。お寺は科学アカデミーだったんじゃないのかな?因みに17世紀にヨーロッパで流行っていたいろんなアカデミーって趣味サークルのようなものだったらしく、王立とついているから国が認めた集団だと思っていたがただの民間サークルだったりする。

現代の仏典は現代社会に合わせた解釈になっているので本筋では無いと思います。仏教が始まった時代とは社会の成り立ちがまったく違うからです。元々どの一神教の宗教も偶像崇拝はしてはいけないことになっています。神以外は崇拝してはいけないことになっているのに現代では思いっきり偶像崇拝していますよね。民に教えやすいからと言って、本筋がしてはいけないことをしているのは禁を破っていることにならないのかな?
それともお寺や教会って庶民を支配しやすくする為にある人達に乗っ取られたのかな?そういう人たちは本筋の教えを守らなくて自分たちの都合よく改変していくだろうから。
ある人達は有名になり庶民から信用を得た会社やお店を乗っとたり、日陰に在った会社に大量に資金を渡して大きく成長してから乗っ取るという手法を昔から繰り広げてきた。庶民はその会社が乗っ取られていることなんか気が付かないので、いい会社なんだと思ったまま過ごしている。

ご来光を見届け数分後にはカップルは下山したので頂上は貸し切りになり、静かな中、素敵な景観を堪能することができました。

ごつごつ岩場を足を引っ掛けないよう気をつけながら進んで行く。

椽ノ鼻まで来ると蔵王権現様にお久しぶりですとご挨拶、ここで役小角様にも会えました。
piccoloさんに初めて役小角さんのことを教えてもらった当時は興味がなかったので右から左だったけど、水銀の歴史を調べ始めてからは役小角(葛城氏)さんも関係していたのでその存在は今ではしっかりと覚えました。


昔の(戦前まで)鉱山労働者は男性は60kg以上、女性は30kg以上の鉱物を山から麓まで背負って運んでいたので小柄ながらも体が強かった。明治以前は女性は140cm、男性は150cmが日本人の平均身長。170cmは背が大きい方だったようです。超距離歩ける体力があった。明治以前は船が交通利用の手段だったので三半規管も強かったんじゃないかな?

その間はインド科学やアラビア科学やイスラム科学や中国科学が発展していた。
そのことを学校で教えないのが何かおかしく感じるようになりました。今にして思えば、日本はどうして白人中心主義になったんだろう?(影にオランダ人ありでしょうか?)
小国家だった白人社会はユダヤ人を通してインド・アラビア・イスラム・中国科学を学んだようです。(ペルシア帝国が凄かったのか、それともチベットなのかな)アラビア科学もイスラム科学も自然と寄り添った形の発展で、機械化にすがらなくても社会は回せていたそうで産業革命のようなことは起こらなかったようです。
インドは古代科学が発展しすぎて自然を破壊し尽くして、自然と切り離した生活が悪影響を及ぼすことを学んだから、現代は虫や動物を殺さないし清潔すぎない社会になっているのではないかと推測。
ただインドは広いので現代的に発展している都市も中にはありますけど。
オスマン帝国のドラマを見て宮殿内で働いている人々のそれぞれの帽子の形が球根や種に見ました。
当時のオスマン帝国が支持していたメウレヴィー教団のスーフィーの回転円舞が森羅万象を表しているように感じました。
戦後以前は自然の仕組みで育まれるそれぞれの季節の旬のものを食べていた。効率非効率など考えずに旬の時期をわくわくして待てたんだと思います。
”待てる”ということは凄く大事な要素だと感じます。合理的やスピード社会は人間の本当の生き方ではないんだと思う。
昔のアジア人は自然と共存することは大事なんだとわかっていたんじゃないかと思いました。

(これらのことを知るまではヨーロッパに憧れを持っていました。)
現代人は戦後開発が進みすぎて自然から切離された生活に変わり始めてしまいました。
過去の時代で自然が身近ではない生き方をしだした社会は戦後から87年しかありません。
イギリスで産業革命が始まり、日本も先進国に追いつけとばかりに明治時代から化学会社が増え、全国規模で公害が蔓延し病気が増えていきました。先に病気が蔓延しだしたのはイギリスで、それに追いつけとばかりに産業革命に乗り出した周辺諸国、ヨーロッパ(1700年~1800年代)で物凄い勢いで空気や水が汚染され始めペストと云われる病気が蔓延したんだと推測できます。それまでも小規模ながら公害はあったでしょうが地域は決まっていてそれらは風土病で片付けられていた。
多くの人々が農業から賃金の良い工場労働者へと移行し、時間に管理された生活様式へと変化していきます。この時代は子供も6歳になると工場での働き手となりました。子供らしく遊ぶべるのは資産家の子供だけだったでしょう。
それまでのんびり過ごせていた人たちが時間に管理され、毎日空気の悪い工場で長時間労働をしいられ病気は蔓延していった。工場を建てるために自然破壊が急速に始まり、海岸の干潟は埋立地になっていきました。生態系の破壊の始まりです。
先進国は自国だけにとどまらずアフリカや南米・東南アジア・中央アジア、あらゆる島々にも工場を作っています。
伝染病という言葉は、これらの化学工場から出る廃棄物の空気汚染や水質汚染を隠す為に生まれた言葉ではないでしょうか。
悪徳な人たちは先の先まで読んでいるので訴えられない仕組みを作り上げました。

現代社会では毎日、テレビであらゆる病気に対処する為のサプリメントのCMが増えています。病気を無くして健康的に生きるのではなくのではなく病院や薬に頼ることが一般的な生活になっていくような、どんどんおかしな方向へと歩んでしまっています。食物アレルギーが増えているのは野菜や果物・牛・豚・鳥などの家畜の餌、養殖魚の餌など育て方に人工的化学物質がコスト削減の為、大量に使われているのが敏感な人にはアレルギーとして現れているんだと推測できます。

水素添加された植物油脂があらゆる加工食品に乳化剤として大量に使用され、その植物油脂が体では分解されず肝臓にとどまりあらゆる病気の原因になっています。異性化果糖の甘味料も体では分解されません。清涼飲料水やクリーム系の多いスイーツやチーズ、ドレッシング系あらゆる加工食品にコスト削減のため使用されています。何故分解されないかというと自然界には存在しない物質を化学会社が作り出しているからです。癌や骨やいろんな部位の硬化症や血流や体液の循環にも悪影響を及ぼす原因の一つです。それらに気がついてから完璧に食べるのはやめられないけど大好きなピザやベーコンやハムやお菓子などの量を減らしていくと体が柔らかくなってきました。後ろで上下で手と手を繋ぐ行為がそれ以前は10cm程の距離で届かなかったのが今では軽くつなげるようになりました。やはり体が硬いとかは現代の食べ物に原因があるようです。体重も更に5kg減り、ここ2年でpiccoloさんと共に加工食品の食べる量を減らしただけで10kg減り、43kgになりました。現代の食べ物は脂肪分がやたら多く、それが口当たりがいいので食べすぎてしまします。
自然を見つめていると何かがおかしいと感じ始めることが出来ます。
テフロン加工のフライパンも病気の要因だと最近知りました。テフロンは化学会社のデュポンが開発しフッ素を使った素材です。
焦げ付かないから便利だとダイヤモンド加工のフライパンを使っていましたがこれがテフロンだった。
周期表の17族は毒物にあたります。これらは私達の生活の中でありとあらゆる商品に使用されています。
デュポンは新しい商品を開発するとそれまで使われたいた素材に難癖をつけて使用禁止に持っていくようにする会社なんだと調べていてわかりました。
食べ物が悪徳な人たちに牛耳られている現代は、他国からの輸入をやめて自国で地産地消で作物を農薬を使わず作る仕組みに変わっていかないと今後が怖いと感じます。明治以前の農業や畜産に戻るべきだと感じます。
病気にならない生き方はまずは食べ物を旬の時期に収穫したものに替えていくことだと思います。昔のやり方に習った保存食を作るとか。
まずは塩を塩化ナトリウムではなくミネラルの多い海水を煮詰めて作ったものに戻さなければいけないようにも思います。

小さなスミレや、イワカガミが咲いています。
シロヤシオもずーっと道中生えていて、こんなにシロヤシオが多かったのに驚きました。


岩場の切り立った場所に1本だけ真っ白の花が目立っていて、近づいてみると葉っぱが余りついていない満開のシロヤシオの樹だった。なんだか気品があるお姿。


大きな岩場までやって来ると、piccoloさんがここにモアイ像みたいな岩があると教えてくれ、その岩を見たら確かにモアイ像に見える。
風雨で彫刻された岩が横顔の形になっている。




なかなかpiccoloさんの目当てのオオミネコザクラが見つからない。
あっちこっちと危ない斜面に寄り道しながら探すと花が終わりかけのを発見。
もしかしたら運良く見つけられるかもとpiccoloさんは探していく。
すると登山道から外れた、ちょっと危険そうな場所でひっそりと咲いているのを発見。
私は安全そうな場所で待っていたが、呼ばれたのでザックをデポして気をつけながらそちらへと移動。
岩場にひっそりとハート型のピンクの花弁が可憐に咲いていました。見ることが出来て良かった。


オオルリ?の雌が歌を歌っている、素敵な歌声。



ここから釈迦ヶ岳へと戻ります。
トゲトゲの葉を発見、茎も根に近いところもトゲトゲ~でこれはハリブキです。

7時過ぎ、釈迦ヶ岳に戻ると二人がそれぞれ休憩していた。
私達も急斜面を登り返してきたので小休止。青空が広がり、ポカポカしている。

水場で水を汲み、顕微鏡観察用に少しの苔を取り、下山へ。
千丈平にある池の泥も少し取る。


下山していると続々と登山者が登ってき、すれ違いながら挨拶をする。
普段人が居ない場所を歩いているので、これだけ人とすれ違うのもなかなか無い。
さすが人気の山です。



11時半過ぎ、太尾駐車場に戻りランチ、帰宅の途へとつきました。
星空を眺めながらの夜のハイキングもなかなか良いなと思いました。





