折り畳みアシスト自転車で龍神巡り~ 大和誕生と水銀の物語とイエズス会【宇陀市・奈良県】3/9
2024年 04月 21日




ここ数年あっちこっちで地震の頻度が増えている。台湾有事が起こらないとは限らない。
もしも電気が使えなくなり、ガソリンも手に入らなくなったらということを想定すると車は使えなくなる。
今まで使っていた折り畳みMTBは、乗らなくなってから数年経過しているのであっちこっち経年劣化している。

でも何かあった時の移動手段は自転車に限る。
ということで買い替えた自転車、最近は進化しまくってる中国製アシスト自転車をじっくり見比べるpiccoloさん。
中国製アシスト自転車は国産に比べると、デザイン・装備は優れているが、各パーツの耐久性に難があり自転車修理屋さんではメンテナンスを拒まれるらしい。
piccoloさんはある程度の知識や経験があるので、保証外の時は国内の部品を流用して修理できるだろうとのことで、中国製で保証期間内はアフターがしっかりしているブランドのを購入。

特に気に入ったのは、サイコン表示と電源S/Wがグリップから手を離さず操作できること、前後が油圧ディスクブレーキそして一番はバッテリーがフレーム内に収められていることで、一見アシスト自転車には見られない。バッテリー容量は12.800mAh。
20インチ折り畳みなので軽カーにも2台余裕で積み込める。
緊急時には太陽光パネルで充電し、ポータブル電源もあるので充電は出来るだろう。重量は約20kgあるので少し重いが自力走行も出来る。

ということで、試運転だ〜。県内には素敵なサイクリングロードがたくさんある。
piccoloさんが以前から行ってみたかった龍王ヶ渕を中心にサイクリングコースを決めた。

3/9はお天気は曇りで気温が低いので顔マスクの上からヘルメットを被り、ダウンジャケットを羽織る。
久々のサイクリングだ。しかも今回はアシスト自転車。通常だと130kmは走ることが出来ると説明書には記載されているが、あくまでもそれは好条件でのことで、山道を登ったり下ったりと気温が低い中ではリチウム電池の減りは早いはず。(電気自動車(リチウムイオンバッテリー)に置き換えた国々で様々な問題が出ていることがYouTubeチャンネルで放送されている。リチウムイオンバッテリーは気温が低いと減りが早い。決して日本のメディアでは取り上げられない)
今日はまだ気温が低く、昼からは雪が降るような気温。どれくらいリチウム電池が消耗するのか確認しておかないと。

出発当初は電動に頼らず自力走行、そこそこの上り坂時にアシストにしようと考えた。
周辺はアップダウン多く自力走行では良い運動にもなる。
piccoloさんは、最初からアシストを使用。2台でどれだけリチウム電池の消費に差が出るか実験だ〜



まずは龍王ヶ渕を目指して出発〜。走ったことのない山裾の道を進んでいくとまだまだ山間部にはいろんな集落が点在している。額井岳麓の道を少しのアップダウンを繰り返す。
お日様燦々で暑くなってきたので、ダウンジャケットと顔マスクを取る。
山間部から見た、周りの景色は素晴らしい眺めだ。

龍王ヶ渕に到着。
龍王ヶ淵は宇陀市室生向淵、大和富士と呼ばれる額井岳の東、標高530mの山中にある自然池。風のない晴れた日の湖面に周囲の木々が映り込む「水鏡」の景色は神秘的なんだそう。
駐車場に自転車を止めて龍王ヶ渕を一回りしてみよう。
池の畔に堀越神社があり、海神(わたつみ)の娘で竜宮に住むとされる「豊玉姫命(とよたまひめにみこと)」が祀られている。



昔の 海 という言葉は現代で認識されている 海 とは意味が違う。
大きな湖や池、広くて大きい、または多くの人や物が集まる所という意味。
そして 水銀 が関係ありそうだ。というのも古代の宇陀市は 水銀(辰砂)の巨大産地だったからだ。奈良県宇陀市には豊玉姫命を祀る「海(かい)神社」が室生口大野と三本松に2つある。

龍王ヶ淵の池の中の小島に鳥が一羽で佇んでいる。何の鳥?黒いから鵜かな?写真を撮る。
拡大してみたら綺麗なブルーの目、そして羽が茶色く素敵な模様。
鵜って、あまり見かけないし、勝手に黒いもんだと思いこんでいた。
こんなに美しい鳥だとは知らなかった。神秘的な池に神秘的な姿の鵜が絵になる〜。

ここから室生寺方面を目指す。
途中、室生大野寺付近から川沿いの岩に弥勒磨崖仏があるんだけど今回はスルー。
大黒さんが岩に掘られているのを発見した。大黒天磨崖仏。こちらは大正時代に掘られたもの。しかし驚くのがここの柱状節理がめちゃくちゃ太い。今まで見た中で一番だと思う。
この周辺は1500万年前に紀伊半島でカルデラ形成に伴う巨大噴火があり、流れてきた火砕流が冷えて固まったところ。この辺は古代に辰砂の巨大市場の港だったんですよ。港と言っても海ではない。ここには川が流れていて、川湊だった。河内湖から川を船で進んで多くの大陸人がやってきた。。(昔と現代では地形が全然違う)
辰砂があったから大和民族が列島に来た。そんな歴史を知っている人はこの国には1%ぐらいだろう。(なぜなら隠された歴史だから)

弘法大師 空海が関連しているところは水銀が関係している。因みに空海は中央アジアのソグド人の血を引いている。鑑真もソグド人。古代の朝廷ではペルシャ人も雇われていた。
シルクロードの東の最終地点は奈良(那羅)だ。何故に列島まで来たのか?辰砂があったからだ。
そして交易を担っていたのがソグド人だった。

因みにシルクロード言うネーミングは1877年のドイツの地理学者リヒトホーフェンが著書の中で古代の東西交易路を「ザイテンシュトラーセン」ドイツ語で絹の道と命名した。
その道はその後の研究でコースは変わっているらしい。
1938年にF・H・ライアンの訳で「シルクロード」ドイツ語のザイテンシュトラーセンをシルクロードと英語表記で出版し、その後シルクロードと広く認識されるようになった。現地の人はシルクロードとは言っていない。




シルクロードや考古学なんて他所から来た外国人が現地の人を中心に置かず勝手に自分たちの認識の上で研究し、なんでもかんでも白人中心でものを考え、その学問として確立されたものを受け入れるのが当時の日本人知識人。

日本の歴史上に出てくる言葉はドイツ認識が多いように思われる。
明治維新後の日本の国造りのプロデューサーはプロイセン人(ポーランド人やチェコ人も)かもしれないなと近代史を調べていて思う。なにせ明治維新前にプロイセンに留学していた人が政府の要人になっている。伊藤博文・山縣有朋・桂太郎・西周・青木周蔵・品川弥二郎と民間に下った人渋沢栄一や新島襄や福沢諭吉、他にも続々とドイツびいきだらけ。でもどうして黄色人種である日本人が欧米に維新前から留学出来、白人の人たちが快く受け入れいろんな大学で学べたのかが不思議で仕方がない。プロイセンはどうして日本と組もうとしていたんだろう?謎だらけ。(私の勝手な考察です)

道路を走り、坂道を登っていくとたくさんの案山子ちゃんたちが段々畑に現れた。
いろんなテーマが書かれた板が案山子の横に添えられている。面白い。




室生トンネルに入る前に休憩。トンネル横の滝を見に行く。
昔の写真と説明が書かれた掲示板があった。明治期にここでお坊さんたちが修行をしてたらしい。


脇にひっそりとフユイチゴがたくさんなっていた。あれ???今は3月だよ、このいちごって11月から1月に実がつくんじゃなかったっけ。食べてみると甘酸っぱい。
急に綿雪がたくさん降ってきた。なんて神秘的。

長い室生トンネルを抜けると室生龍穴神社が見えてきた。車がたくさん止まっている。
神事でもしてるのかな?と寄ってみた。別に特別な何かがあったわけではなかった。
何でこんなに参拝者が来てるんだろう?あっ今年が辰年だから、龍巡りしているのかな?


室生寺前に到着。お腹が空いたのでよもぎ入り回転焼きで有名なおばあちゃんのお店でラーメンとよもぎ入り回転焼きを食べた。今回は室生寺には寄らず。


ここからとんでもない山道へと入っていき標高差300mの峠越え!。下りは完全な山道で小石ゴロゴロと危ないので200mは降りて歩く。
その後コンクリ坂道を快適に降ってきて東屋で休憩する。
かなりの急坂だったのでビビりながらの走行で疲れた。

空は晴れ渡っているのに、また綿雪がたくさん降ってきて神秘的な世界になる。

piccoloさんはアシストを使いすぎたせいでバッテリー残量が10パーセントくらいから、アシスト制限となりアシストパワーダウンで帰宅時には残量5%とギリギリでした。
私はアシストにあまり頼らなかったので35パーセントの残量でした。
説明書ではリチウム電池は好条件だと130km走れるとなっていたが、今回のように気温が低く、累積標高が900mともなると30km強しかアシストしないことがわかった。
説明書はあくまでも好条件下のことであるから、鵜呑みにしてはいけないことがわかった。
確かに急坂上りは自力走行がかなりきつかったので電動アシストでスイスイと漕ぐことが出来た。
素敵な山間集落や景色を見ることが出来、晴れ間なのに牡丹雪と素敵な景観の中走行できた。なかなか楽しかったです。
















