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奈良県内で軽登山・カヌー等アウトドア楽しんでます。


by ケルト

宇陀市サイクリングで奈良時代の文祢麻呂(ふみのねまろ)の墓と神社巡り 【奈良県宇陀市】5/12

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宇陀市は古代の辰砂(水銀)産地で古事記の物語に出てくる地名が多い場所。

「大和誕生と水銀」という本にも出てくる。

今回は、大海人皇子(後の天武天皇)の軍で活躍した将軍の文祢麻呂(ふみのねまろ)の墓を巡るサイクリング。

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サイクリング開始早々、面白いものを発見。

めちゃくちゃ可愛い一人乗り用の車。調べたら1981年に創業した富山県にあるタケオカ自動車工芸という会社が作っている車でアビーという車名。Dr.スランプの鳥山明さんが描きそうな可愛いシルエット。1980年代にこんな可愛い車が流行っていたんだ。

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走っていると雨がぱらつき出した。確かに天気予報は雨になっていたけど予報は昼過ぎからだったはず、ちょっと降ってくるのが早くない?

まだ、小雨ぐらいなのでそのまま予定通り走っていく。

走っていると道の脇に紅白のキク科の花がたくさん咲いている。

ゲンペイコギクという花。花期が5月〜11月と長い期間咲いている。

白から赤に変わっていく。中央アメリカ原産で1950年代にアメリカから渡来した。

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文祢麻呂(ふみのねまろ)の墓を目指して山奥へと入っていきます。

段々畑が出てきた。

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道々、文祢麻呂の墓の標識が出てくるので迷わず走れます。

集落を通り抜けていくと田んぼが出てきた。隠れ里だらけだ。

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鳥居が見えてきた。五社神社だ。ここは帰りによることに。

神社の所に「やたきやマルシェ」と書かれているのは何だろう?

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細い道に入り、上りがきついのでちょこっと電動アシストを使う。

以外に、近い所に文祢麻呂(ふみのねまろ)の墓があった。

文祢麻呂(ふみのねまろ)は「日本書紀」「続日本紀」にも登場する人物で壬申の乱(672年)では大海人皇子(後の天武天皇)の軍で活躍した将軍。

天武天皇の時代は里中満智子さんの漫画で「持統天皇物語 天上の虹」を読んでいるので興味がある。

因みに現代は女性天皇うんぬんのようなことを言われているが、過去に推古天皇、皇極天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇、明正天皇、後桜町天皇と8人も女性天皇がいた。現代、女性うんぬんで揉める意味がわからない。


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渡来系氏族の西文(かわちのふみ)氏出身の役人。

以前、明日香に行ったとき、西漢人と東漢人が居たと書かれた看板を見た。西と書いてかわちと読み、と書いてやまとと読む。帰化系氏族で最も古いと言われているのが西文(かわちのふみ)氏の王仁(わに)渡来伝説、秦(はた)氏の弓月君(ゆみつきのきみ)渡来伝説、東の漢(やまとのあや)氏の阿知使主(あちのおみ)渡来伝説、4世紀末から5世紀初頭にかけて渡来してきた民族集団。

その後も、渡来集団はあちこちから、日本列島へとやってきている。

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この時代は一夫多妻制で政治的な兼ね合いで有力氏族が自分の娘を嫁がせるので、嫁になる人数が多く当時の天皇から生まれた子供も大人数だ。
嫁いだ人の家柄で同じ天皇から生まれた子どもたちの地位が決まる。常に嫁いでくるので天皇には下は10代から、様々な年齢の嫁が居た。嫁同士や子ども同士の身分違いでややこしかっただろうな。家族制度って世界でもいろいろあるし、列島内も時代によって変わっていただろう。なので現代の家族制度が当たり前ではない違った家族のありかたがあった。因みに明治時代を調べていたら、えらいさんのほどんどが養子だ。実の父親よりも岳父の方に信頼があったり、めちゃくちゃややこしい。養子だらけなので血の関係は、どうでもよかったのかな?
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ペルシャやギリシャや中央アジアやチベット人やいろんな集団がいてたんだろう。

現代でもいろんな顔の人達が居てるので一つの民族という誤解を与えるような教育はしてはいけないんじゃないかと思う。たくさんの民族で混血していたんだろう。古代からグローバルだったんだ。

人の身体的特徴は必ず、先祖が生まれ育った土地の風土にあった骨格になっているんだと思う。

鼻が高い低いや目が一重か二重、肌の色、直毛かくせ毛、目の色等、は地球上のどのへんで生まれたのか骨格に残っているんだと思う。

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すでにこの時代の仏教は宇宙観がはっきりしていた。数を表す単位が半端ない数だ。実は仏教は科学的教えの走りなんじゃなかろうか?
現代言われている超ひも理論なんか、とうのむかしから一部の知識人にはわかっていたことなんじゃないのかな。現代が一番最先端とはかぎらない。
自然科学は200年前以前からいろんなことは解明され尽くしていたんじゃないかな。現代の科学者とか胡散臭くないですか?

当時の日本からも大陸の王朝へ日本人を奴隷として貢いでいるから大陸の方にも日本人はいてた。

東方見聞録から日本がジパングとして知られていたと、私達は教えられているが、本当はそんな前から知られていたんだろうと思う。世界史や歴史で教わったことは正しいとはかぎらない。

弘仁年間(810-824)に編算された「新撰姓氏録」には帰化系氏族は326氏で、漢(中国系)163氏、百済104氏、高麗41氏、新羅9氏、任那9氏となっている。西アジアや中央アジアやシベリア系も居たと思う。とにかく昔っからグローバルだったと思う。

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水銀は万能だった。この頃はヒ素も一緒にとっているのでヒ素の毒気にやられていたんじゃないかな?

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それとも化粧用の白粉や甘味料的に使われていたので、古代からの鉛中毒は世界各国で有名。
夜の火の明かりでは(電気がなかった時代)、白粉は綺麗に見せてくれるアイテムだった。男女問わず塗りまくっていただろう。

この墓から、1831年に墓誌が入った銅箱、金銅壺などが発見され、金銅壺の中に火葬骨が入ったガラス製の壺が納められていた。以外にお墓はこじんまりとしている。でも考古学って怪しいことがたくさんありそうでどうなんだろうか?

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墓の周りには今は、ハハコグサが蕾を付けたのがたくさん生えていた。

ハハコギクは、全草を採取して乾燥させたものを生薬ソキクソウという。

煎液は鎮咳、去痰、扁桃炎、喉の腫れに有効で利尿作用があるため急性腎炎に伴うむくみの軽減に効果がある。

ハハコグサの若い茎葉は食用とされ、春の七草の一つ。

かつては葉を草餅や団子の中に入れましたが、緑色が鮮明なヨモギがこれに取って代わり、今では持ちに用いることがほとんどなくなったそうです。

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この墓がある所から、さらに奥の方へ坂を登って行った山の中に 高山右近の澤城がある。

なんと2016年1月22日高山右近ヴァチカン福者に認定された。

高山右近は1552年の生まれで、12歳のときにここ澤城で洗礼を受けた。洗礼名はユスト。イエズス会の人。

何で今頃になって認定されたんだろう?

そして調べたら、なんと大阪城ホールで認定式典が開催されているのがYouTubeで見られた。1万人ものカソリック信者が集まっていた。

台に飾られた十字架の形がケルト十字じゃなかろうか?

私がケルトを名乗っているだけに気になる。

福者とは、徳ある行為あるいは殉教によりその生涯が聖性に特徴づけられたものであったことを証して、つけられるカトリック教会における「聖人」に次ぐ称号。また、この福者の地位にあげられることを「列福」という。

昔に田舎の道路沿いにキリストの言葉を表した黒地に黄色の文字で聖書の教えが書かれた看板がちょこちょこあったと思うが2020年頃から、その看板が奈良県内の行く先々で新しくなっているのを何枚も見た。調べたら、宮城県のキリスト教の人が各地を回って貼っていっているらしい。

この1,2年のうちに、次々と変なことが起こっていきそうな嫌な予感がします。

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坂を下ってくるとやたきやの建物が見えてきた。あそこでマルシェを開いているのかな?

なかなか立派な建物だ。


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次の目的地の五社神社へ移動。若い人が立っていた。どうもやたきやのスタッフの人のようで車で来た人の案内係のようだ。

話を聞いてみるとやたきやが営業を始めて、ちょうど2年目になるのでお祝い記念でのマルシェのようだ。わかっていたらたち寄ったのに、ここまで来たら戻るのがめんどくさい。ちょっと惜しいことをした気分。

帰ってから調べたら、薬湯の宿 茅葺屋根の古民家ホテル&レストラン。

HP見たら、とても素敵な感じでした。

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五社神社の境内は広く、この神社の狛犬は大阪・奈良県の中で一番古いそう。

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大きな矢らしきものが飾られているが由来がわかるものがなかった。

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今だに注連飾りが外されてないのは、蘇民将来、平将門あるいは牛頭天王が関係しているんだろうか?

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祠の彫り物が龍になっている。こういう祠の彫り物の意味って何だろう?

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五社神社を後にし、八沢隧道方面に走って行く。昔はトンネルと言わず、隧道と言っていた。

近くにある電柱がオレンジ色の苔に覆われている。水や海水の中にいる藻類と同じ仲間で汽水性の緑色藻類「スミレモ」という多細胞藻類。水の中でなく地上に生える植物だそう。

緑藻植物にもかかわらず、体が緑色ではなくオレンジ色をしているのは、葉緑体にカロテノイドの1種、ヘマトクロム(hematochrome)を含むため。

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八沢隧道は、何だか鉱山に入っていくような雰囲気。昔の人は道を通すのに凄いところを掘っていたんだ。

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トンネルを抜けると集落に出た。piccoloさんが変な方向へと走っていく。

着いたところが平井皇太神社。

祠がめちゃくちゃ派手だ。塗り方がベッタリとしているのが何だか残念だけど。

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でも彫り物がたくさんあって面白い。

龍・うさぎ・白鳥・牛・パイナップル・白い馬、他にも壁面にいろんな絵が書かれている。

何を意味しているんだろうか。大陸から移ってきた人たちの物語なのかな?

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次は平尾水分神社へ移動。

水分(みくまり)神社となっっているので辰砂が出たんだろう。

祠の色は剥げ落ちたまんまになっている。祠の色の塗替が出来るのはその集落でお金があるかどうかなんだろうな。

集落の人間が減っていけば、そういうところにお金が回せないんだろうな。

祠の大きさから古代(もしくは明治時代に辰砂鉱山を再生したときかな?)は凄く繁栄していた場所なんだろうな。時の移ろいを感じるな。

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しかしいろんな所に神社があるな。これでも昭和に入ってからかな、神社の数はかなり減っている。

明治時代に神仏分離で減らされ、神社合併政策で一つの村に一つの神社みたいに減らされた。神社の数って本当は鉱山で入植してきたいろんな組織の印ではないんだろうか?

あっちこっちとお山の宝(鉱物)を掘り出しにきた人たちの陣地なのではと思うんだけど、どうだろう?

天津神とか国津神って、鉱物堀りの人たちじゃないんだろうか?金属を作り出す民族。

国津神は先にこの列島にいてた人たちで、天津神は後からやってきた人たちみたいな。(国津が神社系で天津は寺系)

何処にも書かれてはないけど、そう考えるといろんなことが腑に落ちるんだけどな。

こんな時代から、実は現代に続いているような組織的対立構造が世界であるんじゃないだろうか?

そもそも神社や寺の謂れは、現代に教えられていることとは全然内容が違うんだろうなと思う。

結局、いろんなことを乗っ取っていってる組織の人たちが都合よく改ざんしているんだろう。

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今日のランチ予定のお店、スイートに到着。ここで大きなエビフライ定食とハンバーグ定食を頂きました。出してくれるお茶は薬草茶でどくとくの味でした。

店内はステンドグラスが綺麗で、山小屋風な感じで良かったです。

水のコップを置く、コースターが何だか懐かしい感じ。シャツの形をしていました。

学生時代に友達同士で渡し合う手紙を、このシャツの形に折っていたなと思い出しました。

今日もなかなか、爽快なサイクリングが出来ました。




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by ceruto | 2024-06-12 20:17 | お出かけ | Comments(0)