どっさりナメコとしっとり椎茸ついでにツキノワグマの活動域徘徊【台高山脈・奈良県】11/16
2024年 12月 09日

11月に入ったのにまだまだ暑いなと感じる日もあれば、11月らしい肌寒い日もあり動植物や虫たちも気温の移り変わりに戸惑っているようです。
家の周辺では、まだモンシロチョウが飛んでいて、植えている菜っ葉に青虫が何匹もついている。



山の中の紅葉はどうかしら?
雑木林を歩いていると赤く紅葉している木が見えた。なんて美しいんだろう。

と、感動していると細い倒木に綺麗に光るナメコが出ていた。
まだ傘が開ききっていない状態だ。


楢の木からクリタケもわんさかと出始めている。
幼菌もあればもう開いて大きいものもある。すっかり傘が開いたクリタケを見るのは初めてだ。8cmくらいの傘の大きさ。

なんだかわからない変わった形のキノコ。


急斜面を滑り落ちそうになりながら登っていく。

紅葉して落ちた葉っぱの絨毯が美しい~。

またまた幼菌なめこの樹を発見。ぷりっとしていて可愛い。

piccoloさんと離れて歩いていると、こっちに来いの合図が。
行ってみると、めちゃくちゃいい感じの椎茸が出ていた。


続けて真っ白なブナシメジも発見。

更にヤマブシタケまで。なんか今日は良い発見だらけだ。

するとめちゃくちゃ大量発生しているナメコの樹と出会う。
すごい量。まだ傘が開ききってなく凄い。


どんどん歩いていると楢の木の枝がたくさん落ちている。
これはツキノワグマが木に登って落としたやつだ。
周辺の木も見てみるとクマ棚があった。そしてウンチも。



このあたりは行動地なんだと他にもウンチがないか周辺散策。
するとこの落ちた枝周辺にたくさんのウンチを発見。ここで楢のどんぐりを食べていることがわかった。やったね!!新たなツキノワグマの行動地を知ることが出来た。
来年はこのあたりに定点カメラを設置しよう。
なんだか今日はつきまくっている!!




そしてめちゃくちゃ美しいヤマドリを間近で10分も眺めることが出来た。
ヤマドリって、ときどき見るけど、すぐに逃げていくので、じっくりと見たことがなかった。




間近で見るとまるまると太っていて、たくさん良い餌を食べているんだなと感じた。
羽がこんなに美しいんだと感動した。なんて神秘的な鳥なんだろう。
こんなに長く眺めさせてくれるなんて奇跡だ。


まだまだ発見は続き、piccoloさんが何かを発見したようだ。
見てみるとビール瓶のような茶色の瓶だ。割れずにきれいな状態だ。蓋まで付いている。
蓋に書かれている文字を見ると AKADAMA PORT WINE 瓶のエンボスはKOTOBUKIYAとなっていた。
なんとこれはサントリーの最初の社名のワインの瓶だった。
凄い!!なんでこんな人が歩かないところに落ちているんだろう?

サントリーの社名になる前の創業時の名前は壽屋(コトブキヤ)だった。
サントリー創業者の鳥井信治郎が小西義助商店(現代のコニシボンド)で丁稚奉公して独立し、日本人にあった甘口にしたワインを1907年(明治40年)製造販売。
小西義助商店は大阪の道修町にある。道修町は有名な三共製薬・塩野義製薬etc製薬会社がたくさん集まった通りだ。
私はOL時代この近辺で働いていたので、コニシボンドの建物は通勤時に毎日見ていた。
そして私が通っていた幼稚園が道修町の北側にある今橋に現在もある武家屋敷の幼稚園「愛珠幼稚園」でここは緒方洪庵の適塾の隣。
そして愛珠幼稚園があった場所は、元は住友の銅の精錬工場の銅座があった場所だ。
勝手になんだかI因縁を感じる。


NHKの朝の連ドラ「マッサン」に登場した太陽ワインがこのアカダマポートワインだ。(ドラマは見てないけど)
明治以降、酒造会社がめちゃくちゃ創業されている。なにか戦争に関連しているんだと思い調べ中。
ワインは瓶の底に澱(酒石酸)が貯まる。
このワインの副産物の酒石酸とカリウムが結合したものがロッシェル塩。
因みにロッシェル塩はフランスのピエール・セニエットが1675年頃に合成した。
(この辺の時代って、何でもかんでも結晶化することが流行った時代なのかな)
ロッシェル塩は圧力を加えると電圧を発生させる性質がある。
音響振動を電気信号に変換する特性を生かし、マイクロホンやイヤホンなどに用いられ、戦時中は潜水艦や魚雷の音波を探知するソナー(水中聴音機)の部品となった。
(ワインの澱が、そんなものに使えるなんて、なぜわかったんだろう?不思議だ)

日本海軍は昭和17年6月のミッドウェー海戦に敗れて劣勢に立たされると、ドイツに将校を派遣。ロッシェル塩の応用技術を日本に持ち帰らせ、酒石酸を大量に採取するためワインの増産を推し進めた。
ワインは澱(酒石酸)を抜くと美味しくないので甘みを添加して販売されていた。
酒関係を調べていると蒸留酒は人間が飲むために生まれたのではなさそうなんだ。
酒精(アルコール)が何かに必要だから生み出されていたような感じ。
どうも1800年代から欧米と日本の企業や製薬会社や大学(日本の統治時代の台湾・朝鮮・満州・東南アジア)でとんでもない怪しい研究がめちゃくちゃされていたよう。
いろんなことを脱線しながら調べているので、まだお酒関係の裏を調べているのは道半ばです。
何故、禁酒時代があったとか怪しい裏がいっぱいありそう。分かり次第レポを書きます。

サントリーは創業家の鳥井家と番頭だった佐治敬三(前にwikiペディアを見た時は番頭だった様な気がするが今見たら、鳥井信治郎の次男になっていた。私の勘違いかな?)
2代目社長の佐治敬三からサントリーの社名になる。
因みにCMでよく見る ACジャパン は国の省庁関連のCMだと勝手に思っていたけど、この佐治敬三が ACジャパン の創設者だった。1971年には関西公共広告機構という名称だった。

1988年に東北に東京から首都機能移転運動なんかがあったんだね(山形県・宮城県・福島県)。仙台を首都にするみたいな。知らなかったわ。それで佐治敬三が東北熊襲発言をしたらしい。歴史を見てると東北は何度も国の中心的存在と戦おうとしていたんだね。
国内って独立運動みたいなことが起こったらどうなるんだろう。


私は化学と医療が何かおかしいなと調べていて、食品添加物を初め、農業・酪農の在り方とか、衛生商品群、製薬など。
人間の口や身体に入るものに良くないものが使われていることを知り、何故、企業はそんな身体に良くない物質を使うのかを知りたくて色んな分野を調べている。戦時中はどうも戦争の戦いではない、人体実験みたいなことが色んな国の兵士を使ってされていたよう。
兵士にいろんな薬を与えて、経過観察し反応をみるような。そんなことで亡くなっていった人たちや精神がおかしくなった人がたくさんいたのでは。
白飯がたくさん食べられると騙されて兵士になり無念を抱えて亡くなっていった人たちを思うとやりきれません。
やりたくない任務につかされたり、人を殺したり。恐怖心をなくさせるためかヒロポンという麻薬が使われていたり。
軍国主義を煽っていた企業や宗教のことを知ると腹立たしい。
因みに、戦後ヒロポンを一般人が使用していた。LSDとかの麻薬って有名大学が作り出したことにびっくりした。
サントリーを初め、大手企業は必ず財団を持ち、その資金でいろんな怪しい研究室を持っている。
この瓶との出会いは山の神様が私に答えを与えてくれているんだと感じる。
数ヶ月前には電子関連の高校とドイツ関連の大学を卒業した人がこの山に1990年代に置いていった瓶と出会っている。私が調べていることに山の神様が何かしら意味のあるものを提示してくれているみたいで不思議だ。
今日も山の中での発見は素晴らしいものばかりだった。
山の神様ありがとうございます!!

