波瀬神社と泰運寺近くには中央構造線の原石が!!【松阪市飯高町・三重県】12/31
2025年 01月 27日

以前から山に行く時に通る道沿いにある泰運寺が何故か気になってしょうがなかった。
piccoloさんに行ってみたいとリクエストし、近くにある波瀬神社にも寄ってきた。


先に波瀬神社に行く。
銅でできた鳥居をくぐる。鳥居に梅マークが入っている。
しめ縄にはちゃんと稲が使われている。
最近、しめ縄を稲ではなく化学繊維で作っているところをよく目にするようになった。
見掛け倒しの伝統になっているとなんだか寂しい感じがする。


でもよくよく考えると明治維新後に作られた明治政府は廃仏毀釈をしたり、一村に一つの神社として寺や神社を何万という数を壊してきた。
神仏の有り難みや伝統行事など、簡単に破壊できるものだったんだと感じる。
1868年に列島が日本国という国になって、それまであったものの破壊はどれほどだったんだろう。そういう歴史は教えられない。
明治政府の役人はそれまで培ってきた、江戸時代まで存在した、それぞれの国(藩)の伝統的なことをなくさせ、西洋式に全てを変えていこうとしていたことを知った。
文字や国語をローマ字や英語に変えようということにまでなっていた。
日本語を作った上田万作の本を読んで知った。

国語とはそれぞれの藩の地方言語だと列島内では言葉が通じ合わないので、日本国という国を作り上げるのに共通語が必要だということで生まれたのが日本語だ。
現代人は、そんな流れがあったことなど考えもしないだろう。
私も何かがおかしいと感じ始めた時から、いろいろと調べ始めて、このような流れがあったことを知った。

他の国は革命なのに日本はなぜ革命ではなく、維新という言葉を使うのか疑問だった。
戦争ではなく事変という言葉だったり、何でなんだろう?と感じる。
大正時代にはデモクラシーという言葉が登場する。民主主義を表す言葉だと教えられている。そもそもは古代ギリシャ語のデモクラティア(demokratia)で民衆を意味するデモス(demos)と権力を意味するクラティア(kratia)を結合した言葉。
何か日本人という国民をだまくらかすための造語が多いような気がする。


明治政府の役人たちや知識階級や文化人の人たちはドイツを始め、英国・フランス・ロシアなどに留学していたり、学校の教師が西洋人だったので西洋思想に染まっている人たちばかりだった。
維新前に、革命を起こすためにどこでどうやって西洋人とやり取りをし始めたんだろうかと疑問を感じる。銃や大砲などは西洋から輸入し、兵士の訓練も皆西洋人に教わっている。
急に始まったものではないことがわかる。用意周到に練られて始まったんだと感じる。
だいたい支配する奴らは、内戦を始めさせるのが常である。
同じ民族同士で憎しみ合い殺し合いをさせて、武器を売って儲け、そこそこ儲けたら仲裁に入ってくると、いいとこ取りをしていく頭のいい人たちだ。


織田信長の時代にイエズス会がやってきてるから、いろんな藩に出入りもしていただろう。
外人を見たことがないなんて嘘だわ。
なにせ600年代くらいからイラン人が朝廷で働いていたんだから、外人を知らないわけがない。
何かおかしいなと思って調べていくと、いろんなことが掘り出されてきた。



織田信長の時代にポルトガルから来た武器商人は最初は武田勢に銃を売り込もうとしていたが武田勢には石投げ隊がいたので銃は必要なかったので売れなかった。
武器商人は織田信長のところにも売り込みに行くと買ってくれることになったらしい。
そう考えれば、武田勢の石投げで人は簡単に殺せると思う。
銃ってわざわざ手間を掛けて作らないといけないものが必要なんだろうか?
火薬を作る時に爆発を起こしたりして危険な代物だ。
イエズス会は表の活動はカソリックの信仰心を伝導するということになってるが本業は武器商人と人身売買らしい。

西洋から始まった革命思想が日本にも伝染してきたように思う。
用意周到に練られて維新を西洋の指導の元、始めたように感じる。
イタリア統一戦争から何かが始まった気がする。
ジュゼッペ・ガリバルディとジュゼッペ・マッツィーニらの思想からヨーロッパで1848年に色んな国で革命が勃発した。
日本の維新の人たちは革命仲間だったのかも。
このジュゼッペ・マッツィーニとアルバート・パイクの往復書簡に第三次世界大戦のことが書かれている。今始まっていることを予言しているかのようだ。
明治政府の役人たちは、ほぼ下級武士だったので維新前までの伝統に不満を感じていた人たちなのかも。だから革命の話に乗ったのかな?
支配層の人たちは下級武士や貧乏な人たちを焚き付け、殺し合いをさせ、自分たちの手は汚さないのも常だ。下々に争わせ、支配層は上で繋がっている。そうやって人口を減らさせる。戦争とは、支配層の金儲けのためにあるものだ。宗教も支配するための仕掛けになる。

なので平気で廃仏毀釈や神社を減らすことが出来たんだろう。
宗教があるおかげで争いが起こっていることが多い。
昔の人達は上下関係が絶対なので、上の人に命令されれば、間違っていることでも下のものは従わないといけない主従関係があった。
エリート校では先輩後輩の関係は絶対的支配になっているんじゃなかろうか。
そんな馬鹿げた関係こそ破壊していかなければいけない。

廃仏毀釈が起こったのに生き残った仏教宗派がいたんだ。
ライバルの宗派を潰すには良い機会になったのかな?
明治政府の要人はキリスト教派(カソリック・プロテスタント・正教会etc)が多いのかと思いきや、調べていくと、どうも浄土真宗・禅宗・真言宗・日蓮正宗・ゾロアスター教といろんな仏教宗派の人間だったよう。
世界戦争へと導いたのも、これらの宗派の人たちだと知った。

当時の西本願寺の法主の大谷光瑞の本を読んで、そう感じた。
宗教が中心になって人を殺していくことを先導している。どういうことなんだろう?
またまた脱線した話が長くなった。


波瀬神社は広くて綺麗に整備された神社だった。
二個目の鳥居に飾られている盾が海軍大将男爵 大角今生と彫られている。
本堂のところの盾は従二位子爵源長生敬書と彫られている。
これらは戦争時に建てられた神社になるのかな?
現代、私達が見ている神社は戦争中や戦後に作られたものが大半なんじゃなかろうかと感じ始めた。
お賽銭入れの中に可愛らしい木彫りで出来た神様や銅でできた神様が鎮座していた。
面白い。




大正時代に建てられた鳥居。神宮遙拝所 と彫られているところを見ると伊勢神宮に行ったことになるようなことなのかな?
柱が御即位大禮記念になっているから、大正天皇を拝むものなのかな?


泰運寺に移動しようと神社を後にしようとしたら目の前の高台にソラーパネルがびっしりと敷き詰められていた。
素朴な村の畑放棄地や空き地がどんどんソーラーパネルで埋め尽くされていくんだ。
設置して後悔している人たちはいないのかな?
この数年、ソーラーパネルの設置が加速している気がする。




気になっていた泰運寺へと側道に入っていくと、思っていたより遠い。
道中には点々と石の像が出てくる。何体あるんだろう?数えられなかった。


駐車場へ到着。トイレも完備されている。この石段を上がっていくと有形文化遺産の大梵鐘の「八角銅鐘」があるらしい。
お寺は無人のよう。とりあえず鐘を見に行ってみよう。

道中見た石の像が何体もある。なんだか可愛らしい。


何が彫られていたかわからない時代の風化したものもあった。










しかも何かお経のような文字がびっしりと彫られている。
piccoloさんが鐘をつくと物凄い心地よい響きが広がる。なんて素敵な音色なんだろう。
鐘の上に八体の龍の顔がある。これは後の時代に付けられたものらしい。





卍マークは鈎状だ。変わってる!!そして獅子が彫られている、かっこいい〜。
お花も彫られている、なんの花だろうか?
鐘の付く場所の彫り模様がカッコいい。
これは見に来た甲斐があった。



大黒庵があり、大黒さんが鎮座していた。鉱山が関係しているのかな?


周辺散策、青竹がきれいな色だ。


灯籠の形が可愛い。



うろちょろしていると変わった場所を発見。
沢のある石の色がぜんぜん違う。何だこれは?
中央構造線原石と立て看板があった。この近くに月出の中央構造線がある。
そこの延長線上になるんだ。凄いこれは感動物だ。
piccoloさんを呼びに行く。二人して感動した。なんて素晴らしいものが拝めたんだろう。それも年末に、山の神様が呼んでくれたのかな!!
泰運寺もなかなか素敵な場所にあり、素敵な大梵鐘を見、音も聞けてよかった。
八角にすると響きの広がり方が良いのかな?


お寺を後にし、もう一つ気になっていた松阪市立 波瀬小学校にも立ち寄る。
以前から西洋的な建造物でおしゃれだなあと思っていた。
もう小学校としては閉校になっている。




校舎の屋根上にあるカリヨンの鐘が気になった。
どんな音を響かせるんだろう?
学校の鐘がカリヨンって珍しい。小学校のことが知りたかったけどネットには何も出てこなかった。
誰が寄付して作ったとか設計者が誰とかはわからない。


校舎入口横にあるステンドグラスも素敵だ。
一度、カリヨンの音を聞いてみたいもんだ。
私は宗教のことはよくわからないけど、今回の回った場所は、芸術鑑賞として見て回った。
それぞれの職人さんの作品として見ると、素直な目で鑑賞できるから。

